「ちょっと」暇人な学生・レルハの日常。
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カイモノ

先日。

数年ぶりに親戚一同集まって、食事に行きました。

 

父母年代がメイン、僕と同じか少し下の学生世代が4、5名、そして幼児が2人。

 

さて、この度行ったのは牛肉料理の美味しいお店。

 

親戚一同仲良く話しながら、注文した料理を待っています。

 

話もひと段落ついたところで料理が運ばれてきました。

 

 

隣の席に座る4歳のDくんと、その母親の会話が耳に入ってきました。

母親「いつもと同じように、頂きますちゃんとしようね」

D「うん。でも、いただきますってどーゆーこと?」

母親「私たちが食べてるのは、牛さんとか、ブタさんの「命」なの。それを頂いてるから、頂きますよ」

 

僕も小さい頃こんなこと言われたなぁ〜とか思ってたら、D君の返答

 

D「ふーん、じゃあ、命ってお金で買えるんだね!すごい!」

 

一瞬空気が凍った^^;

 

でも、確かにD君の言う通り、僕らは「命」を食べている、そして食べるためにそれを「金で買っている」。

 

 

例えば文房具を買うとする。

僕らは、作るということ、作る人、運ぶ人などに金を支払う。

 

例えば本を買うとする。

僕らは、作者、出版社、運送者などに金を支払う。

 

例えば野菜を買うとする。

僕らは、作る人、その労力などに金を支払う。

 

命は買っていない。

でもしかし、

 

…………

 

……いや、ちょっと待てよ、と。

 

文房具、例えばシャーペン。

プラスチック、鉄などからできている。

プラスチックは石油からできている。

石油は元々、数億年前の動物が化学変化してできたもの。

元々は動物だ。

 

本の場合。

紙って元々は木でできている。

木だって、たとえ意思がなくとも動物のように動けなくとも、動物だ。

生きている。

 

野菜の場合も同じだ。

植物だって、れっきとした生き物だ。

 

 

–––––僕たちは、物を買って生きている。

物を買わないで生きていくのは限りなく不可能な世界に生きている。

 

僕たちは物を金で買っている。

 

その物は、ほとんど全て、遡れば「命」あるものである。

 

 

僕らは何も食べ物を買う時だけ「命」を買っているのではない、何かを買えばそれは「命」を買っているのと同じ事だ、と思う。

 

僕たちはその事へ感謝を忘れてはいけない––––それを作った人へも、捧げられた命へも。

 

そんな事を考えさせられた、レルハでした。

 

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